みなさん、こんにちは。飲んだくれ担当のゆ屋です。
街はすっかりクリスマス仕様。私の地元では、イチョウの葉が全て散るなど、着実に冬が近づいていることを感じます。
私は寒さが苦手で、ヘビやトカゲなどの変温動物並みに動けなくなるのですが、熱燗がおいしいという点でのみ、冬の存在を許しています。
さて、ここ『いいひとブログ』に最初に投稿した記事は、「一人飲みは寂しいのか?」という内容でした。今回は再びその点に焦点を当てながら、私の一人飲みの様子を振り返ってみようと思います。
ある冬の日、私は目当ての居酒屋に開店と同時に入店しました。
ひんやりとした外気から、店内の温かい空気に触れてほっとひと息。空いていたカウンター席に通され、メニューを眺めます。
うーん、寒いし、熱燗にしようかなあ。でも最初は常温から始めようかな。
おつまみは3種盛りにしよう!
注文を済ませ、店内を見まわすも、開店直後なためか、まだ誰もいません。ガラス戸の冷蔵庫には多種多様な日本酒がずらり。知らない銘柄もたくさんあります。
こんな時、誰かと来店したのなら、「何飲む?これ美味しそうじゃない?」なんて会話が弾むのでしょうね。私はその会話を“頭の中の自分”とすることにしています。
冒頭にお話しした、私の最初の記事にも、「一人飲みが寂しいなら、脳内会議と人間観察をしよう」といった内容のお話を書きました。私にとっては当たり前のことであり、今更こんなことを書いても、もう皆さんそうしているんでしょ、くらいの気持ちでおりました。ところが…!
ある日、Instagramを眺めていたら流れてきた情報なのですが、
とある精神科医いわく、メンタルが疲れやすい人は「頭の中での一人喋りが多い人」なのだそう
とのこと。つまり、皆が皆、脳内会議をしているわけではない…!?という事実に驚きました。この情報の通り、私は精神的に消耗しやすいタイプですが、まあそれはさておき。
“一人飲み”は私にとって、自分と語らい、自分の好きなように過ごす、楽しくて気楽なイベントなので、楽しい脳内会議が始まります。
お!注文したものが来た!!おいしそ~!
お酒は甘口で飲みやすい。この銘柄、覚えておきたいから、ボトルの写真を撮らせてもらおう。
次は熱燗にして、この“まぐろ納豆”をおつまみにしよう。
おや、あの人が食べてるのもおいしそう。あとであれも注文しよう。
そんなふうに自分と話し合いつつ、人間観察も始めます。
人の振舞いだけでなく、食べているもの、飲んでいるものもつい気になってしまいますよね。常連らしき人ならなおさらです。

やって来た熱燗は、アツアツの徳利だけではありませんでした。熱湯が入った、徳利がすっぽり入る大きめの器も一緒です。これならゆったり飲んでいても、熱燗が冷める心配がありません。素晴らしい。

カウンター席なので、時にお店の方と話したりしつつ、おいしいなあ、幸せだなあ、としみじみ一人時間を楽しみました。
会計時、お店の方に「あなた、あまりにもおいしそうに飲んでいたから、このボトル1本あげる」と、サービスしていただいてしまいました。ありがたいやら申し訳ないやら。でもやっぱりありがたいので、お礼を言って、受け取って帰りました。
ああ、今日の“一人飲み”も幸せで、素晴らしい時間だったなあ。熱燗はずっとアツアツでおいしかったし、おつまみも全部おいしかった。お店の方も優しかったし、また来たいなあ。
帰り道、そんな幸せな脳内会議をしながら帰路につきました。
さて、「一人飲み」と強調していますが、要は誰かと一緒に飲みに行く、その「誰か」が「頭の中の自分」に置き換わったと考えると、一人であることを忘れてしまうくらい、寂しくない時間を過ごせるのだと思います。
勿論、自分以外の誰かと過ごせば、自分では考えもつかなかった発想や、その人の体験と感想を聞くことができ、それはそれでまたとない、いい機会ですね。
そもそも、「“一人飲み”=寂しくて嫌」と思っている方は、自分が「孤立している」と感じるのでしょう。“孤立”と“孤独”は、似ていますが意味が異なります。
・孤立…他から切り離され、助けがない状態。“孤独”が内面的な感情であるのに対し、“孤立”は外部との関係性の欠如という状況そのものを指す。
・孤独…仲間がなく、ひとりぼっちでいること。
辞書的に見るとどちらも寂しげですが、一人で飲んでいる時、私は自分を“孤立している”とも“孤独だ”とも思いません。ただ“自由”なのです。だからこそ私は、一人でどこへでも行きますし、一人で飲むことも大好きです。
皆さんも、今度はふらっと一人で飲みに行ってみませんか。そこで聞こえてくるのは、「自分を労う自分自身の声」。今日もおつかれさま、頑張ったね、自分。
皆さんの“一人飲み”が、おいしく、楽しく、豊かな時間でありますように。
それではまた!

















コメントを残す